「あくまで趣味だ」と、私はいつも自分に言い聞かせてきた。
それは予防線であり、逃げ道でもあったのだろう。

いや、趣味であることに違いはない。言い方を変えよう。
9年という歳月を重ねながら、何も成し遂げられていないのではないかという焦燥に、静かに打ちのめされていただけだ。

それでも、すべてが徒労だったかと問われれば、断じて否だ。確かな成果がひとつだけある。

絆だ。

私は人に何かを与えられたわけでも、胸を張れる成長を遂げたわけでもない。それにもかかわらず、多くの人が惜しみない愛情を注いでくれた。
幾度となく心が折れかけたが、そのたびに踏みとどまれたのは、その温もりを知っているからだ。
受け取った想いを無為にすることだけは、私の矜持が許さない。

だからこそ次の段階へ進みたい。
形はどうあれ、停滞からは脱したい。

そのために、継ぎ接ぎのまま膨らんできた「keisuke」という像を、一度解体することにした。

自分は何者なのか。
属性、強み、需要、それらを洗い直すべく、顔から火が出る思いで自己観察を行った。
最初は欠点ばかりが目につく。しかし、客観視とは弱点を数える作業ではない。
自らの優位性を認識できるかどうかで、その後の戦略は決定的に変わる。

次に取り組んだのは、表現の研究だ。
世界は無数のエクスプレッションに満ちている。映画、アニメーション、音楽や、他の配信者たち。
多様なアウトプットに触れることで、自分の内部に散在していた断片を、少しずつ輪郭あるものへと収束させていった。

最後は進路設計である。
これまで幾度も、「自分がやりたいこと」と「求められていること」の乖離に悩まされてきた。
発信者が愉しんでいなければ、受け手を愉しませることはできない。ましてや、趣味は本来、歓びであるべきものだ。

私は何に胸を躍らせているのか。
その問いに明確な解は持ってはいない。
答えを固定すれば、その瞬間から未来は輪郭を失う。
だから私は、ひとつの結論に安住しない。

肩書きでも、形式でもない。
私が拠りどころにしたいのは、自由そのものだ。
自由であることを、私のアイデンティティとする。

縛られないことを選び続ける意志。
変化を恐れず、停滞にも安住しない姿勢。
それこそが、これからの けっけ を形づくる中核でありたい。

刷新とは、過去を否定することではない。
積み重ねた時間と、受け取った想いを土台に、次の形へと進化させることだ。

何度も筆を置き、幕を引こうとしてきた私に、なお誰かが歩調を合わせてくれている。
そう考えること自体が、身の程を越えた思い上がりなのかもしれない。

それでも、もし今もなお、この未完成な歩みに視線を向けてくれる人がいるのなら。
これからの私にどうか期待してほしい。

ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
これからも、変わらぬまなざしで見守っていただければ嬉しい。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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